片付けをしていて出てきた紙切れ。
刻印は2002年1月2日。トリノのスタディオ・コムナーレの文字。
遠い記憶を辿ると……。
それはユヴェントスの練習見学チケットでした。
ユーヴェの前のホームスタジアムで2006年のオリンピックでも主役を演じたスタディオ・オリンピコ。その前身がコムナーレでした。
2002年1月に私は初めてトリノを訪れ、当時ユーヴェの練習場だったコムナーレに辿り着いたことを思い出しました。
トリノのメイン駅であるポルタ・ヌオーヴァからトラムに揺られること10数分。コムナーレはフィラデルフィアで下車し、歩いて数分のところにありました。
第1印象は錆びれた施設。1990年代の黄金期を経て21世紀を迎え、ビッグネームが多数在籍していたマルチェッロ・リッピ率いるユーヴェの練習場にしては……という印象でした。
当時はリラとユーロの両方が流通していたと記憶しています。練習は有料ながらも1ユーロくらいで見学することができました。見学場所はバックスタンド、コムナーレには熱心なティフォージが駆けつけていました。
練習場は警備こそあるものの、当時はまだそこまで厳しいものではありませんでした。ティフォージが出待ちをしながらボールを蹴ったりと現在では考えられないような長閑な風景が……。
練習が終わったあと、ティフォージにとっては期待と不安の時間が訪れていました。
「あの選手はどちらの出入り口から出てくるのだろうか?」。
コムナーレには選手の出入り口が2箇所あり、ティフォージの心を弄ぶような仕掛け!?が用意されていました。
選手によって、あるいは日によって利用する出入り口が違っているようでした。選手たちがティフォージからの写真やサインの依頼に丁寧に応えていた光景が浮かんできます。
ユーヴェに加入したばかりだったパヴェル・ネドヴェドがいつも熱心に出待ちにやってくる女の子に運転席からユニフォームを渡していたシーンは忘れることができません。この出待ちこそがティフォージにとって堪らない時間だったはずです。
ユーヴェのコムナーレでの練習は翌年で終了し、その後は市内南部のチェントロ・シースポルト、そしてヴィノーヴォに移動しました。
その後、コムナーレは改築されて「スタディオ・オリンピコ」に生まれ変わり、あの錆びれた練習場が近代的な施設に生まれ変わったことに当時は信じられない気持ちで、2006年にはオリンピックのメイン会場として使用されました。
ユーヴェがオリンピコを使用し始めたのが2006/07シーズン、セリエBの時代からでした。クラブはすぐにAに復帰、チャンピオンズリーグの舞台にも戻ってきました。しかし、再びの低迷期に……。その後は時代の転換期を迎え、自分たちが値する場所に戻ろうともがき、2011/12シーズンからは新スタジアムと共に歩んできたのは記憶に新しいところです。
現在、練習場はJTCコンティナッサ。
選手たちが練習から帰っていく出待ちの風景は17年前のコムナーレとは全くの別物です。クラブが拡大路線に舵を切る中で、もう戻ることはできません。
ふと立ち返りたくなる瞬間。
それは原点であったりターニングポイントであったり。
1枚の紙切れに思いを馳せ、タイムマシーンに乗ってあの穏やかな時代のユーヴェを観に行きたくなる時があります。
※2011年に「Soccer King」に掲載された記事を加筆、修正したものです。
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