ちょうどユベントスを追いかけ始めた時と同じくらいにクラブに加入してきたひとりの青年がいました。サッカー選手というよりは映画俳優かと見間違えるほどに端正な顔立ちとスラリとした姿。それがアレッシオ・タッキナルディでした。
大きな体で小さなチンクエチェントに乗って練習場から帰っていく微笑ましい姿が忘れられません。タッキナルディのことは良く覚えています。
20歳でイタリア代表に選出され、彼の輝かしい未来を想像しましたが、現実は厳しいものがありました。彼と同じポジションにはディディエ・デシャンがいたからです。監督のマルチェッロ・リッピとも上手くいかなかった時期もあり、本来のポジションではないリベロを担当するなどタッキナルディにとっては山あり谷ありの厳しい時を過ごしていた印象があります。
しかしデシャンが抜けたあとのリッピ、カルロ・アンチェロッティ政権下では中盤のリーダーとしてエドガル・ダ―ヴィッツと共にチームを鼓舞し続けた姿がありました。
身を挺しての中盤での泥臭い守備、左右に散らすパス、ミドルレンジからの強烈なシュート。それはまさにチームの心臓部としての相応しい働きでした。
その後、監督がファビオ・カペッロになってから同じポジションにエメルソン、パトリック・ヴィエラが加入。2005年、ユーヴェ加入から11年経ってタッキナルディはトリノを離れました。
ユーヴェのオフィシャルマガジン「HURRA’ Juventus」の2002年1月号でタッキナルディが質問に答えていますので、少し紹介します。
・背番号20は好きなNBAに関係している。
・バカンスは故郷のクレーマで過ごす。
・好きな俳優はブラッド・ピット。
・好きな街はクレーマとロンドン。
・好きなスポーツはバスケットボール、NBA。
・幼少時代のアイドルはプラティニ。
「タッキ!」。ユーヴェの練習場がまだスタディオ・コムナーレ(現在のスタディオ・オリンピコ)だった時、練習中に響いていた掛け声。きっと彼は偉大な先輩たちに愛されながら勝者のメンタリティを学んでいったのではないかと思います。
クラブのレジェンド50人に名前を連ねているタッキナルディは現役引退後、主にイタリアメディアでコメンテーターとして活躍しています。
※メイン写真はユーヴェがジェノヴァのガズリーニ小児病院に対して行っていた慈善活動「Un Sogno per il Gaslini」の一環で発売された2002年のカレンダーより。
初めまして。
麗しのタッキのお写真を見て、思わずコメントさせていただきます。
美しい顔に似合わず、熱い選手でしたね。
特に印象的なシーンが二つあります。
ひとつは、確かアンチェロッティの最終戦。
アレのコーナーキックからタッキのゴールが決まった後、抱きつきにくるアレを待ち構えて、アンチェロッティのところに行こう!とうながし、2人で嬉しそうにベンチに走ってアンチェに抱きついたシーン。
もうひとつはミラン戦。
マルディーニに倒されたネドヴェドを無視してボールを運ぶミランのピルロ。
センターライン付近でそのピルロにタックルして止めたタッキは、ピルロの顔をくるりと回し、後ろのネドヴェドの方に向けました。
彼は倒れて苦しんでいる!
って感じで。
他にも沢山の記憶がありますが、なぜかこの二つのシーンは、タッキの仲間想いが象徴されているようで、特に印象深いです。
長文失礼しました。